気仙沼線のBRT化への疑問

 JR東日本では、2011年3月11日の東日本大震災で被災した気仙沼線などを、BRT(Bus Rapid Transit)として復活させる計画であると聞く。以前にこのブログでも書いたが、自然災害からの復旧費時の補助率は、国が1/4で地方自治体が1/4であり、残りは事業者が負担しなければならない。三陸鉄道に関しては、経営基盤が脆弱であるため、国が3/4を補助するようにしたが、JR東日本は「黒字の事業者である」という理由から、国からの補助率は1/4のまま据え置かれている。
 「黒字の事業者である」と国が考えること自体、鉄道が自然独占を謳歌していた時代の発想であり、今となっては完全に時代遅れである。このような制度を温存していると、大手民鉄の不採算路線が自然災害で被災すると、即、「廃止」となる危険性が高い。
 BRTは、2007年3月末で廃止された鹿島鉄道廃線跡を活用して、2010年8月に開業している。つまりバス専用道路を走行するバスであるが、バス停の上屋が整備されたり、バスの定時制を担保するために、専用道路と交差する箇所に遮断機を設け、他の自動車などがバス専用道路へ侵入しないように配慮されている。専用道路の舗装状態も良いため、バスは円滑に走行を行う。その結果、従来の国道355号線を走行していた時よりも、所要時間が短縮され、利用者が増加したという。
 そのような事例があるため、JR東日本もBRTを検討したのだろうが、鉄道を廃止してバスへ置き換えると、確実に利用者は減少する。バスになると、地図から路線が消えるだけでなく、上屋やトイレが無くなり、サービスが低下する。「鉄道よりも機動性に富む」という利点は、考え方を変えると、頻繁に運行経路が変わることに繋がる。そうなると利用者は、何処を通っているのか分からなくなり、バスを利用しなくなってしまう。その件に関しては、『鉄道・路線廃止と代替バス東京堂出版、『廃線の危機からよみがえった鉄道』中央書院でも、書いている。

 気仙沼線は枝線ではない。大船渡線三陸鉄道南リアス線などと接続するため、これがBRT化されてしまうと、南三陸地域の鉄道ネットワークの崩壊に繋がる。そうなると他の路線の利用者も減少してしまう。
 
 では私の考えはというと、政府が建設国債を発行して気仙沼線などの被災した路線の復旧(鉄道の移設と街づくりも含む)を推し進めるべきだと考える。「日本は、国と地方を合わせて900兆円以上の負債があるにも関わらず、未だ建設国債という形で借金をするのか」という指摘があるが、建設国債は60年償還の無利息な国債である。もし年間1〜2%程度の経済成長をするのであれば、仮に50兆円分の建設国債を発行したとしても、実質的な負担はそれよりも軽減されている。
 戦後は、自動車中心の交通政策を展開したため、地方では自家用車の利用を前提とした都市構造に変わってしまっている。今回の震災により被災した地域などは、従来どおりに復旧させるのではなく、鉄道駅を街の中核に定め、駅を中心とした公共交通の利用を前提とした”コンパクトシティー構想”へ転換させなければならない。また住宅地であるが、オランダのホンネルフ型という、自動車の通り抜けの無い構造への転換が求められる。その際は、街の景観を破壊している電柱などは、最初から地中化しておくと同時に、耐震構造を強化した住宅を整備するのは言うまでもない。
 今回の東日本大震災から分かったこととして、公共交通が充実した地域は、震災にも強く、かつ復興も早かったという点である。震災発生後は、ガソリンなどの燃料は公共交通などを優先に販売されたため、路線バスも無い地域は、日常生活の足を失うことになっただけでなく、援助物資の配布にも支障を来たした。公共交通があれば、それに援助物資を積んで、人海戦術で運ぶことができる。鉄道は道路交通渋滞の影響も受けない安定した輸送機関であるため、地域のインフラとして重要なのである。それゆえ「今後の街づくり」という視点と、地域の交通ネットワークの維持という観点からも、気仙沼線大船渡線などの被災した路線の復旧・復興をスピーディーに進めてもらいたい。
 「これ以上国債を発行すると、日本はギリシアになる」と思われる人も多いが、私は「そんなことにはならない」と思っている。日本の借金は非常に莫大であるが、全ては日本円の借金であり、債権者の大半が日本の銀行や個人である。その上、米国債を200兆円以上も所有している。これは埋蔵金ではなかろうか。
 一方のギリシアの借金は、ユーロや米ドル建てであるため、外国からの借金返済の圧力が掛かる。もしギリシアがユーロを離脱すれば、新通貨の対ユーロの価値が下がるため、デフォルト(国家破産)する可能性が高くなる。さらに日本国内の産業の空洞化が叫ばれているが、日本の製造業は世界的にも優秀であり、たとえ製造拠点が海外に移転したとしても、製造のノウハウは日本国内にある。これは米国との大きな違いである。米国は、医薬品や特殊コンピューター、航空機産業、軍事産業以外の2次産業は脆弱であり、家電などは1960〜70年代に駆逐されたため、製造ノウハウが無くなってしまっている。米国ですらこのような状況であるから、ギリシアなどは言うまでもない。「中国、中国」と言われるが、中国が自分達で発明したものは、「紙」「磁石」「陶磁器」だけである。それも宋王朝の時代で終わっている。つまり今から800年以上も昔であるため、決して先進国になるようなことはない。第一、昨年の高速鉄道事故の対応ぶりなどを見れば一目瞭然だろう。
 余談になるが、日本の閉塞感は「デフレスパイラル」から来ていると考えている。デフレの時代は、お金の価値が上昇するから、企業などの設備投資が減り、内部留保が増える。企業の設備投資を促進させるには、内部留保への課税が効果的であり、設備投資に消極的であれば、社員の給料を上げるようにすれば良い。そうなれば個人消費が伸びるだろう。
 企業の内部留保への課税と同時に、公共施設などの耐震構造の強化や都市部で区画整理を行い、耐震構造が強化させた高層階の住宅整備を進めたい。日本の家賃が高いのは、国土の面積が狭いことが理由ではなく、土地利用政策が悪かったためである。その結果、東京・大阪の都心部で2DKの文化住宅であるにも関わらず、家賃が8万円/月も必要だったりする。これが30階レベルの高層住宅になれば、土地当たりの生産性が向上するため、同じ2DKであっても5万円程度に下がるだろう。高層住宅と高層住宅の間には、バッファーゾーン(公開空地)として公園を整備するようにしたい。公園は市民の憩いの場であるだけでなく、大規模災害(火災)発生時の、延焼を防止する機能がある。
 生活の質や街の景観を向上させる公共事業と並行して、教育への投資も必要である。特に高等教育に対しては、専任教員を増やした大学に対し、補助を増やす必要がある。専任教員1人当たりに、ゼミ生が1学年で40名という現状では、満足な指導ができない。せめて専任教員1名に付き、1学年のゼミ生は8名以下にしなければならない。卒業論文を書かないで卒業する学生では、企業にも社会にも全くメリットがなく、グローバル化時代の国際競争力低下に繋がる。フィンランドは、厳しい財政事情であっても教育を初めとする人材育成に力を入れたため、人口が少ないにも関らず、国際競争力が高い。日本の人口減少に対する競争力の維持には、学術や芸術などの知的部門への投資が必要であり、このような分野の強化には、国債を発行してでも実施しなければならない。
 デフレ下の現状では、誰も借金をしないから、国債を発行しても長期金利が上昇することはない。デフレが収束して、心地よいインフレ(年間の物価上昇が1〜2%)に転換すれば、国債の発行を抑制すれば良い(緊縮財政に戻す)。そのバランスを維持した経済政策の舵取りが難しいだろう。
 最後に気仙沼線などの東日本大震災で被災した鉄道は、政府が直ぐに建設国債を発行して速やかな復興を目指さなければならない。その際には、自動車に依存しない鉄道を中核に吸えた公共交通中心の”コンパクトシティー”を目指して欲しいものである。