気仙沼線のBRT化された区間の乗車と、BRT化への疑問

 開業日の翌日、気仙沼線の運休区間を代替するBRTに乗車した。このBRTの運行はJR東日本であるが、ミヤコーバスに運行委託している。そのためBRTは、元の気仙沼線の駅にだけ停車し、従来のミヤコーバスのバス停には停車しない。
 車両は低床式かワンステップ車両が導入され、最知〜陸前階上の1駅区間は、専用軌道として整備されており、バス停には上屋が設けられている。運賃は、鉄道時代と同額であり、青春18切符などの企画乗車券も利用可能である。
 BRTの乗り心地と利用状況であるが、乗り心地はバスであるため、鉄道と比較すれば劣ることは否めないが、専用軌道区間であっても50km/h程度しか出せない。また2箇所程度、行き違いのための待避所が設けられているが、一般道と交わる地点では、BRTが停車して一般道を行く車に道を譲る。そして一般車が専用軌道へ進入しないように、交差する場所には警備員が待機している。
 BRTは、ほぼ1時間間隔で運行されるが、大船渡線や柳津で気仙沼線との接続が悪く、下手をすると2時間以上も待たされることになる。そのため南気仙沼駅は、気仙沼市民病院の近くに移転してバス停が設けられたにも関わらず、気仙沼駅発射時に3名だった乗客は、南気仙沼を発車した後にも8名になった程度である。バスの乗客は、最大でも10名だった。そのため鉄道時代と比較すれば、大幅に減少している。
 その理由として、速達性が低下したことが挙げられる。気仙沼線は、全通したのが1975年頃であるため、線形が直線であり、かつ最高速度も85km/hとローカル線にしては、速い方である。そして仙台と気仙沼を最短距離で結ぶ路線であるため、快速「南三陸」などが運転されていた。東日本大震災で運休になると、大船渡線経由で仙台へ行く人もいるが、特急バスなどに移転したのだろう。BRTでは、本当に地域輸送だけしか見込めないため、利用者は激減したのである。
 JR東日本は、国から補助金が支給されることもあり、専用軌道区間を増やしたい考えのようであるが、並行する道路が渋滞することもないため、専用軌道区間を増やしても。時間短縮効果はほとんど無いと言ってもいいだろう。気仙沼線は単線であったため、専用軌道区間でも行き違いなどで、その効果は相殺されてしまう。
 東日本大震災による津波は想像以上に大きく、下津川などは集落が壊滅していた。ただ学校などは、その付近に残っているため、バス停からの利用者はいた。その学校もグランドは、仮設住宅になっているため、生徒はグランドを利用できない。下津川駅の周辺は、集落は壊滅しているため、今後はこの周辺にグランドを整備するようにすれば良いだろう。この辺に住宅を整備することは望ましくないため、グランドや公園を整備してバッファーエリアとしたい。
 鉄道がバス化されると利用者は、減少するのが一般的だが、気仙沼線ほど顕著に減少した例は無いのではなかろうか。やはり仙台と気仙沼を最短距離で結ぶ路線のため、都市間連絡機能を担っていた。快速「南三陸」は、3両編成で運転されていたが、乗車率は4割程度を維持していた。それが無くなったため、利用者が大幅に減少した。
 今後は、政府が建設国債を発行して、東日本大震災で不通になっている鉄道を復活させることを願いたい。